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時代の倦怠

常に天才を夢見ていた。時代における天才が世の中を変えると信じている。

気づいた時点で始めから負けているのではないか?日本は、無い。
後は共和国ニッポンが先人を思い慮ることなく踏みつけてのんべんだらりとあぐらをかいて横たわるだけである。

輝かしき時代、ヒノマルの栄光は消え去って、今や
成金と軽薄のみが幅を利かす時代。

モノノフは死に絶え、己の肉体を喜んでぶつける機会はもはや、無い。

ただただ肉体を腐らせて、人生や家庭や政治、、、戯言の類に嬉々としているのみである。

騒がしく五月蝿げな声のみが正論で、小さな力無き声は矮小卑劣な集団として位置づけられる。一体そこに何の意味があるか?

自衛隊をして建軍の意思も無く、又、自衛官本人がナショナリストでもなければ、お金をもらって、銃を持っているだけのただの奴隷だろう。

国民をして自警団、即ち将来の国軍を作った方がいい。が、それを出来るのは天才だけだ。

「老い」も「若き」も女々しく明治昭和の先人の栄光に縋り付いてばかりいる。阿Q精神、、、。

若人だけが持つ強靭な肉体、意思の力も、もはや、それを喜んで投げ打つ時代は無い。

かつて、思想を持った人間は時代の中でチャンスを与えられた。チャンスは天才が作ってくれた。
思想を持たない人間は無理やり従わされた。、、、
奴隷のように。ささやかな幸福のみを求めていたからである。
しかし、思想を持つ人間は右も左も自らが喜んで戦うのである。傍から見ればこれは正気の沙汰ではない。右左の狂人連中は消えてそんな時代は終わった。

武士の時代、戦いの時代は終わって、恋、愛、女、そして家庭や人生、「ライフ」というものが第一義になって、肉体を老いさらばえて死んでいく。若い肉体は朽ち果て、明晰な理知は痴呆となって、人生に狼狽し、果ては遮断された構造物の中で怯えながら死んでいくだけである。

何かこう「大義」とか人は何か、他のこと、他の人の為に生きることをよく考えたものだ。人生において生きる瞬間というものを刹那的に、時代の壁といったものにぶちあてて生きてきたものだ。だが、現代は違う。全くもってドラマが無い。見飽きた退屈な映画が漫然と流されるように、働いて飯を食って死ぬだけの「生きるという単調な作業」が己に降りかかるだけである。

だから世人は女に恋に不倫に、或いは酒に博打に溺れたりするのだろう、性欲だの金欲だの「ライフ」を楽しみにする瞬間の快楽のみを極限に追求していくのだろう。だが、そこに思想は無い。思想が無い人間は何も考えなくても良い。だが僅かに残った「思想が必要な人間」はどうすればいいのだ?右翼も左翼もその類だろう。


遅れた時代に生まれ落ちた世代の、老いさらばえた肉体と魂を持て余して、果ては隔離された空間の中で馬鹿になって死んでいくだけの人生、、、。
くだらないドラマ。



時代の倦怠のみを感じる。


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