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西村修平物語①

1982年8月24日 - 鈴木善幸
1984年9月7日 - 中曽根康弘
1990年5月25日 - 海部俊樹
1992年1月16日 - 宮澤喜一
1993年8月23日 - 細川護煕
1994年8月31日 - 村山富市
1996年6月23日 - 橋本龍太郎
1998年10月8日 - 小渕恵三
2001年10月15日 - 小泉純一郎

日本謝罪の旅
1980年代は日本謝罪の年代であった



1993年の日本。
バブル経済崩壊後とは言えど、政治は政治屋に任しておけば良いと多くの日本人が望み、自己の享楽のみに勤しんで生きていた時代があった。例年の暑苦しい8月の最中、島国の外務大臣がこんな発言をした。


河野「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」


いわゆる慰安婦河野談話である。

それ以降、問題を検証する前に唯ひたすら、謝り続ける政治家、嘘を垂れ流す左翼マスコミ、そして無関心な大衆、、、。

この国の事なかれ主義は、この国を貶めようとする勢力の格好の材料となり、ついに、1999年、在米日本企業を相手取り、なんと120兆円の対日戦時賠償要求訴訟が提訴される。

8月4日、「対日戦後補償要求」決議がカリフォルニア州で可決される。

ホンダ8月下旬 カリフォルニア州議会において、南京での三十万人虐殺や慰安婦問題などの第二次大戦中の戦争犯罪に対して謝罪し、賠償をすることを求めるマイク・ホンダと称する日系三世提出の決議案が採択される。

対日講和条約で解決済みとの立場をブッシュ政権が貫いたがために、危うく大難を逃れるが、それでも政府要人はことがある度に、慰安婦問題で謝り続けた。


10年後の2007年6月
「アメリカ合衆国下院121号決議従軍慰安婦謝罪要求決議法案
あのマイクホンダが、再び帰ってきた。

(1)慰安婦の責任を認め、(2)公式に謝罪し(3)性奴隷化、人身売買を否定する声に日本政府が明確に反論すること、(4)この出来事を国民に対し教育をおこなうこと、を要求し、決議案を通したのである。


アメリカ大使館そうした中、2007年9月5日、ある民間人が地方議員とともに米国大使館を訪れる。

一同、「慰安婦決議に抗議する趣意書」を手渡す。
「遠くからも来ていただいてことに大変感謝する。地方議員、市民の皆さんと交流の場がもててたいへん嬉しい。今まで経験のないことだ。英語で話すことをお許し戴きたい。私は皆様からお聞きしたことを私がどのように解釈したかを話します。私は皆様の話されたことを正確に本国に伝える義務がある。間違った理解があれば指摘して欲しい。」

通訳を通して、米国大使館政治部次席マークナッパーは丁寧に回答する。


「私は、いち日本国民として米国大使館政務部次席のマークE・ナッパー氏に申し上げます。」

一人の男がナッパーの前に立ち、おもむろに語り始める。

~つづく~


↑5/2にて。西村代表が言いたかったこと。

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テーマ : 在日特権を許さない市民の会
ジャンル : 政治・経済

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